「当院でのART治療の進化」
ART治療の進化には成績に直結する進化と治療のシステムやマネジメントの進化があると考えます。
HARTクリニックでの進化を双方について述べたいと思います。
(2018年3月11日、日本受精着床学会の「第14回ART生涯研修コース」における当院院長の講演より)
~治療技術の進化~
胚盤胞のガラス化保存法の確立~着床の問題の解決へ向けて
受精卵の新たな保存法
1997年頃、採卵周期に繰り返し胚盤胞移植しても妊娠せず(採卵周期は子宮内膜と受精卵が同期していないため着床しずらい場合がある)、プログラムフリーザーを使って、緩慢凍結、解凍移植しても妊娠しない患者が少なからずいました。
受精卵を凍結・解凍移植すると内膜と同期させて移植できますが、当時の緩慢凍結法は受精卵へのダメージが大きく解凍胚移植の成績が悪く、新しい凍結法を開発する必要がありました。
2000年に渋谷に東京HARTクリニックを開業して、自宅に帰る途中に、TBSのニュースで、磁気を使った食品の凍結保存法を紹介していました。TBSに電話して、アビーという会社を知り、大和田社長と何回も会い、ヒト受精卵用の磁気を使った装置を作りました。
北海道の帯広にあるJA全農ETセンターを大和田社長と訪ね、青柳所長らと会いました。彼らはすでに、アビーの装置を使って、牛の胚盤胞の凍結保存を研究していました。
凍結保存の原理は胚盤胞にCASという装置で磁気をかけて、水分子を振動させ、結晶を作らないようにマイナス30度まで緩慢に冷却し、その後一気に液体窒素でガラス化し保存します。
JA全農ET研究所との共同研究
【磁場環境下における受精卵の凍結(特許No.特願2005-322235)】
磁場環境下で凍結された生肉や鮮魚は、融解後のドリップ(凍結時の細胞破壊により融解時に細胞外に出る水分)の量を抑えるという知見をもとに、磁場環境下における受精卵の凍結法を開発しました。
特徴:
- 特に性判別操作によりダメージを受けた受精卵の受胎率改善に効果的です
- 全農ダイレクト凍結法により凍結しているため、移植操作が簡単です
性判別された凍結受精卵の移植成績(桑実胚の一部をレーザーでカットして性別を調べ凍結します)
凍結法 | 移植例数 | 受胎率 |
磁場凍結 | 34 | 76.5% |
既存の方法 | 24 | 58.3% |
【共同開発した凍結用装置】
渋谷時代の東京HARTクリニックには、同じデザインのヒト胚用の機械がいつでも使用できるように置いてありました。
受精卵の超急速ガラス化保存法
一方で、高知大学農学部教授、葛西孫三郎先生との出会いがありました。
1997年頃葛西研究室の卒業生が、広島HARTクリニックに、就職し、ガラス化保存法を知りました。
広島HARTクリニックのヒト胚のクライオループを用いた超急速ガラス化法の基礎は、この2人が作り上げました。
その後広島HARTクリニックの向田先生が改良し、2003年10月に完成しました。
新しい凍結法の選択
CASを使った方法
利点: 牛の胚盤胞では見事に元通りに戻る。食品ではリンゴやシイタケも元どうりに戻り、電顕で見ても細胞構築が壊れていない。凍結保護剤があまり必要ない。AS(人工的収縮)が必要ない。クローズド即ちストロー内の胚盤胞凍結が可能。
欠点: 費用がかかる。緩慢法なので凍結に時間がかかる。ウシでは問題ないが、CAS(磁気)のDNAに対する影響が不明である。
超急速ガラス化法
2003年10月に超急速ガラス化法が、広島HARTクリニック現院長・向田先生の努力でほぼ生存率100%になり、完成した。
利点: 操作が簡単であり、コストがあまりかからない。
欠点: なし
結局、ガラス化法が先に完成を迎えました。2005年にHARTグループとしてASRMで発表し表彰され、2008年に生まれた赤ちゃんが自然妊娠と変わりないことを論文報告し、超急速ガラス化法が世界中に広まりました。
ガラス化とは
〇 cryopreservation × crystallization
移植も、厳密には「解凍」ではなく「融解」胚移植
〇 warming △thawing
保存する容器は、クライオループといって、それまでに世界中で使われているクライオトップ(板状)と違って
全方向から熱が加わる(冷却できる)ため、瞬時に保存できます。
Artificial Shrinkage(AS)とLaser Assisted Hatching(LAH)の確立
拡大して殻を破った胚盤胞(ステージ6)ほど生存率が悪いというデータがあり、この原因は何かと考えました。
凍結によって胚の内部にできる結晶や体積の増加が原因であり、中の水を抜くことで解決できると考えました。
初期の頃は、細い針を用いて透明体に穴を開けていましたが、今では、レーザーパルスを用いた方法に取って代わっています。
もうひとつのARTの進歩として、一卵性双胎率の低下があります。当時は一卵性双胎率が2~3%ありましたが、現在ではほとんど経験しません。
おそらく、培養液の進歩と、以前より広く透明帯開孔を行っていることが関係していると思われます(開孔部が狭いと殻を破る時に内細胞塊が分裂してしまう)。
さらなる着床率の改善と流産率の低下を求めて
以下の①~⑤が重要であると考えます。
・ガラス化保存法の見直し
PGS(着床前胚スクリーニング)が海外では一般的に行われる時代になりました。PGSでは拡大した胚盤胞を扱うため、よりガラス化の技術的な質が問われます。論文などで報告される海外の胚盤胞移植の妊娠率は、当院のデータよりも明らかに低いです。以下の①~③を、今こそ見直すべきときかもしれません。
① ガラス化を超急速に行う。
胚盤胞内の水が結晶を作らないように、360度方向から超急速にガラス化する必要があるからです。要するにダイレクトに液体窒素に投入します。
② 胞胚腔液を完全に除去し完全に収縮させる。
胞胚腔が拡大した胚盤胞は完全に胞胚腔液を抜いて、完全に収縮させて行う必要があります。この収縮が不完全だと、胚にダメージが発生して着床率が下がり、流産率が高くなります。
③レーザーアシスティッドハッチング(LAH)を必ず行う。
透明帯の少なくとも1/3程度のレーザーによる大きな開孔を行うことが重要です。東京HARTクリニックでのデータでは、LAHを行わないと、48時間待っても、25%程度しか脱出せず、LAHを行うと24時間以内に100%脱出しました。
・着床障害の改善
④免疫的拒絶を防ぐ。
最近までの海外のデータでは、PGS(着床前スクリーニング)を行なうと、流産率は減少するけれども、着床率は変わらないと報告されています。これはなぜでしょうか。
受精卵は免疫的には自己とは遺伝子が半分異なる同種移植片です。しかし、免疫学的詳細は不明ですが、通常の胚は拒絶を逃れ、着床し、発育して、出産に至ります。自分の仮説では、biopsyを受けた胚盤胞では免疫学的拒絶をされ易く、着床できない胚があるため、着床率が下がると考えます。したがってbiopsyの細胞数を最小限にすることと、免疫的拒絶をさせないことが重要と考えます。
タクロリムス
tacrolimus (Tukuba macrolide immunosuppressant)
筑波にある日本の製薬会社の研究員が筑波山麓の微生物を研究して造り出した、日本発の最強の免疫抑制剤。
マクロライド系の抗生物質と同じ構造をしており、安全です。
Tリンパ球の産生や機能を抑制し、強力に免疫的拒絶を抑制します。この薬が発明されて世界の臓器移植は格段に進歩しました。古くから胚移植は同種移植であり、有効性は証明されていませんが着床率を上げるためステロイド系、HARTクリニックではデカドロンを使用していました。今は使用していません。免疫的拒絶を防ぐ目的では、タクロリムスが最適だと思います。
⑤子宮内膜の日付診を行う
良好胚盤胞を繰り返し移植しても反復して着床しない症例では、子宮内膜の着床期のWindow(胚の受け入れが可能になる時期)にずれが起こっていると考えられます。
当院では反復着床障害の症例には、内膜の日付のずれと漫性炎症の有無を知るため、内膜日付診とCD138免疫染色を行います。反復着床障害の患者さんにでは、移植する日付は個別に対応する必要があると考えます。
人との出会い
最後に、これまでを振り返ってみてART治療の進歩に何が一番大事かと考えると、人との出会いだと思います。一人では何もできません。人生の大事な時期を共有できる人との出会いだと思います。
自分にとって一番大事だったのは、1995年に、広島HARTクリニックの院長であった高橋先生との出会いです。海外の学会に出かけさまざまのものを見せてもらい、いろいろ教わりました。東京でも10年以上、毎週会って疑問をぶつけ、いろいろ教わりました。それから向田先生や後藤先生やさまざまな出会いがあり勉強になりました。出会いがなければ、独りよがりな、世界レベルには程遠い医院の院長だったと思います。
次に大事なのがツールとしての英語です。コミュニケーションが取れなければ、学会で討論ができないし、様々なアイデアを吸収できないし、そもそも相手をしてくれません。語学の才能がない自分は、高橋先生や向田先生に助けてもらってやっとここまで来れました。
次世代のARTを担う若い医師の皆さんには、頑張ればなんとかなることだと思います。内容があると皆一生懸命聞いてくれます。